【参加者募集中!】ワインテイスティング会(マレー料理レストラン「Bijan」)

Kuma  2018年1月18日号掲載

コラム

一足先に息子が留学開始!
 我が家が2015年1月にマレーシアに入国してから数日の間に、父親であるオッサンの大学院入学よりも一足早く、当時、小学5年生の一人息子が、地元のインターナショナルスクールに入学することになったんですよ。入学・・といっても、息子は英語なんて全く話せないレベルなもんで、最初のうちは、ほとんどの時間を英語集中コースに入り、特定の科目だけ一学年下の「小学4年生」のクラスという扱いにしていただきました。
 スクールバス(実際にはミニバン)は、あったんですが、結構、年期が入っていて、しかも、学校までの距離が遠いために早朝に起きて出発しなければならなかったですね。インターナショナルスクールと言っても、比較的学費が安くて、おもにローカルの子を対象にした学校だったので、送迎用のミニバンの中には、インドやアフリカ系の子を中心に定員を超える程に乗っていて、助手席にすら子どもが2人も乗っていてビックリしましたよ。そんな中をただ一人、ニホンザルみたいな容姿の我が子が眠い目を擦りながら乗り込んでいく姿を、我々夫婦は不安な気持ちで見送っていたこと日々を今でも思い出します。

ランチが食べられない!
 そんな息子が入学して一週間ほど経ってからのことです。息子がある問題を学校で抱えていることを知りました。それはランチタイムで、どうしても時間内にランチを食堂で買うことが出来ないと訴えるんです。「そんなことがあるものか?!」とオッサンは当初、半信半疑でしたが、詳細を聞いてびっくり!何とランチタイムになると子ども達と教員が一斉に食堂に群がり、しかも上級生や先生までもが列に次々に力づくで割り込んできるので、「お坊ちゃま育ちで品のいい」我が子なんかは跳ねのけられてしまうとのことでした。まさにオー・マイ・ゴッド!何せ日本ならば列を作って順番を待つなんて当然ですよね。むしろそこに上級生や先生がいるなら、順番を守らない下級生を指導したり、順番を譲ってあげるまでが一般的な光景とさえ言えるでしょう。今思うと、これが息子の留学生活において最初に経験したカルチャーショックでしたね。
 そこで我が家では、緊急の家族会議を招集し、息子に小さな弁当を持たせて、事態を乗り切ることに決めました。ただ後日談を話せば、それも顛末としては、良い思い出になったんですよね。実は、そんな息子も学校に通い始めてから次第に“逞しく”なってくれて、きちんとマレーシア流に列をすり抜けてランチをゲットできるようになっていました。まあ、日本人として、順番を待つというのは美徳ですし、「果たしてこれで良かったんかいな〜。」と日本人の親としては複雑な心境ではありますがね(笑)。
 ただ世界で生きていくためには、日本の常識が通用しないこともあるということを家族が身をもって学ぶ良い機会だったとは思いますね。

次なる洗礼、通称『Can I one? (キャナイワン?)攻撃』!
 そんなランチタイム事件を切り抜けた頃、次に息子を悩ませたのが、クラスメイト達からの通称“Can I one?”攻撃でした。息子は日本から文房具など一式を持ち込んでいったのですが、それがマレーシアや中東・アフリカなどの第三世界から来た子ども達には珍しく、輝いて見えたようなんですね。それでクラスメイトたちが、一斉に息子の消しゴムやら定規やらを次々に触ってみたくなって、Can I one?(1つ、いい?)って尋ねてくるようになったんです。そこで息子としては、てっきりその文房具を見せて欲しいと頼まれたんだと思って、相手に手渡すと、クラスメイトたちはそれを手に取り、嬉しそうにいろいろと触った挙句、最後には何と自分のバッグにしまい込み始めたそうなんですよ。だから息子としては大慌てで「おい、何やってるんだよ!返せよ!」ってなった訳です。
 でも、相手としては「だって一つ良い?ってお願いしたじゃないか!」という気持ちになっていて、息子の逆上が理解できません。これには息子も驚きました。だって日本の感覚なら、たった一つしか持ってきてない消しゴムやら定規やらを相手にくれてやる訳なんてないですしね。これ以外にも最初のうちは、息子が持ち込んできた弁当のおかずさえも“Can I one?” されたり、さらには、クラスメイトがランチ代を忘れた時に小銭を“Can I one?”されて、その後、何日も返してくれなかったり、とにかくいろいろありましたね(笑)。この“Can I one?”は、当時、我が家の流行語にさえなっていましたね(笑)。あ、でもね、一応、念のため断っておきますが、上記のことは確かに事実なんですが、息子は決して陰湿にイジメられていた訳ではありませんからご安心くださいね。つまり道徳心、美徳、あるいはもっと堅く考えるなら矜持みたいな感覚さえも、日本人とは大きくかけ離れていたんだと思いますよ。反対に言うと日本人みたいに極めて同質性が高く、何事もあうんの呼吸が通じて、しかも同調圧力の強い社会の人間がいろいろと正義感を振りかざして綺麗ごとを言って批判しても始まらないだろうなという実感がありました。
 でも、息子はそんな悔しい思いを繰り返すうちに、次第に断る術や自己主張したいときの英語表現を一生懸命に学んでいって、知らず知らずのうちに“マレー弁”キレキレの英語を会得していってくれたんですから、子どもの適応力というか、逞しさっていうものには恐れ入りますよね。


写真
眠い目を擦りながら今日もいってらっしゃい

写真
スクールバスに乗り込む

写真
インターナショナルスクールの食堂

写真
ランチタイム