中駒織物 中島一乃さん
真の伝統美を世界へ発信!
~亡き夫とともに歩み続ける中島一乃氏~

ピックアップ  一度目にした途端、脳裏に焼き付く麗しい美。そこにあるだけで空間を創り上げ、人を虜にし、二度と他の品では満足できなくなる。真の伝統美とはかくあるものかと圧倒される、それが中駒織物の扱う着物だ。クールジャパンイベント、三井アウトレットパーク、在マレーシア日本大使公邸、日本人学校などで拝見する度に、いや、視界に入るだけで惹きつけられる着物を扱う中島一乃氏(なかじまかずの氏)。華やかな着物の世界にありながら、想像を絶する波乱万丈の道を、亡き夫とともに歩む彼女の今に迫る。

大願成就を目の前に
 2014年2月5日、中駒織物に一通の朗報が届く。クールジャパンマッチンググランプリ全国大会の東京代表に選出されたという待ち望んだ知らせだった。大会は2月28日。代表を務める中島誉晧氏は妻の一乃氏と手を取り合い、「夢が叶うまであと一歩だ」と、大舞台に向け、一層の激務に身を置き準備に励んだ。「今では激減してしまった日本国産カイコによる手織りの紬、作り手のいなくなってしまった総刺繍の打ち掛けなど、失われた技術を駆使した複雑で繊細、優美な反物の数々は、文化的価値が非常に高い。日本の誇れる文化として、多くの人々にご覧いただきたい」、これが誉晧氏の思いだった。ところが2月13日、その誉晧氏が突然他界、過労によるものだった。

美しいものに光を
 パートタイマーとして家計を支えたことはあっても、家業には一切関わってこなかった一乃氏に、家業を辞めるようにとの意見が葬儀の席で飛び交う。当然のことながらクールジャパン大会は諦めるものと思われていた。「どのように決断をしたのか、準備を進めたのか、何も覚えていません。『美しい品々を、もう一度世に出さなくては。光を与えたい』という思いだけが頭にありました。どうやら15日に、着物生地を用いたドレスの製作を依頼しているようで、実際に大会で披露しています。大会当日のこと、それ以降のことははっきり記憶しているのですが(それ以前のことは)・・・」。大会当日は「お母さんは人とうまく話せるような状況ではない。まして商談などもってのほか」と、娘さん2人が必死で一乃氏を支えた。

伝統と革新
 中駒織物は大会で大好評を得、出展ブースには行列ができる。また、中島夫妻の思いを共有できる人々との出会いを重ねる。「本物の日本を紹介したい」、三井アウトレットパークのマレーシア出店を計画していた三井不動産担当者の言葉が一乃氏の胸を打つ。また、「伝統と革新」というタイトルで大会に参加していた中駒織物と同じタイトルで参加していた会社と出会う。今のビジネスパートナーである“ふぁん・じゃぱん株式会社”だ。彼らとの出会いにより、中駒織物はマレーシアでのビジネス展開への道が開かれる。

良いものに悪いものが入り込む余地はない
 日本における織物業界を取り巻く状況は厳しい。一乃氏は誉晧氏に、「表地は良質の絹、目立たないところは化学繊維などを使ってコストを抑えたらどうか」と、尋ねたことがある。すると、「質の良いカイコが糸をはき、質の良い絹が生まれ、質の良い反物が生まれる。その反物が質の良い仕立屋、優れた染め師などの職人を呼ぶ。良いものに悪いものが入り込む余地はない」と答えたという。 しかし、事業を継いで以降、一乃氏のモチベーションは振り子のように振れる。例え優れた品でも「ダメという人が見たら1円の価値もない。100か0の世界」、それが着物の世界だからだ。一乃氏の心の支えは、亡き義母と夫だという。「美の世界のプロであった義母と夫は、いつも私を信じてくれました。彼らを信じることは自分を信じること。そして、本物の力を信じ、本物の品に、本気を出せるところに出してあげる、その思いが今の私を支えています」。

本物の力、職人の力
 「経営が厳しいからといって着物の値段を引き上げてはいけない」と一乃氏は語る。一生に一度しか新調しないのが現代の着物事情。だからこそ、「一生に一度の出会いを大切に、その機会を逆回転させてはいけない」と表現する。
 ビジネスと無縁の世界で生きてきた一乃氏は、交渉のみならず、人との対話をもっとも苦手とする。しかし、「本物の着物、それを生み出す職人さんたちの力によって、私は助けられています」。仕立て会やイベントに出展すると、着物自ら人々を惹きつけ、導いてくれるのだという。「無口で一見強面の方も、仕立て終わった着物を手にし、満面の笑みでお帰りになり、後日メールや手紙をくださる。次のお仕立て会はいつですかと尋ねてこられ、またご友人をご紹介くださる。たった一度きりの出会いのはずが、その後も繋がり続けていく。本物の力、職人さんの力のお蔭です」。

職人の希望を担って
 着物に携わる職人の仕事は細分化されている。構想から着物に仕上がるまでの気の遠くなるような工程の数々に加え、家紋入れや“日焼け”を直す特別の手間を専門とする職人も存在する。着物文化の衰退とともに、高度な伝統技術を持つ彼らの活躍の場が失われている現在、真実の美を理解し、彼らの仕事を誰よりも尊重する中駒織物。「中駒さんは我々の希望」と彼らは口にする。「職人さんたちが再び、存分に腕を振るえる時代を作りたい。一方、“受け”を狙ったようなパフォーマンスでは彼らの思いに寄り添うことはできない」と一乃氏は頭を悩ませる。伝統技術にこだわり革新をもたらすことが中駒織物の課題だ。

中駒織物のこれから
 マレーシアでは現在、イベント、撮影等への着物レンタル、在マレーシア邦人への着物・袴のレンタル、着物および浴衣の仕立てなどを請け負っている。日馬国交樹立60周年を迎える本年、記念事業の一翼も担う予定だ。「着物の伝統美を世界の多くの方に知っていただくことで、改めて日本国内での着物への認識に変化が訪れことを期待しています」。 さらに先日、アップサイクル事業を営むKLの若手起業家との出会いを得、夢と目標、課題解決に向けて新たな一歩を踏み出した。優れた日本の伝統技術の将来を担う中駒織物と、マレーシアの将来を担う若者たちとのコラボレーションにより、60周年という記念すべき年に大きな実を結ぶことを期待してやまない。

亡き夫との二人三脚
 誉晧氏が他界した日以来、他界前後の記憶のみならず、夫と過ごした日々の記憶も失い今に至る一乃氏。ふとしたことをきっかけに記憶が蘇ることもあるが、どれも断片的なものだという。インタビューの最中、失った記憶を懸命に思い出そうとする一乃氏。しかし、「記憶がないから、これまで泣かずに過ごせているのだと思います。記憶がないということは、この上なく優しいことです」と語る一乃氏に、詳しく思い出してくれとは到底言えるものではなかった。
 確かなことが一つある。中島夫妻の夢を叶えてくれる人々やチャンスとの出会いは、今なお誉晧氏の導きが大きいということだ。 日本の伝統と文化を蘇らせ、失われつつある技術に再び脚光を与える日を目指し、誉晧氏と一乃氏の二人三脚はまだ始まったばかりだ。

中駒織物
 小機屋を営んでいた中島駒美氏(誉晧氏の祖父)は、長男と結婚した薫氏の紬デザインの才能を見いだし、昭和22年、中駒織物を発足。駒美氏の目は確かで、薫氏は次々に新しいデザインを生み出し、昭和30年代の着物ブームの全盛期の一翼を担う。古代調でありながら新しいそのデザインは、日本の紬の文様を変えたといわしめた。昭和の高度経済成長の勢いに乗り、製作から販売へ事業拡大するとともに、「美」の収集にも邁進。日本国産カイコを用いた手織りの紬、今では作り手のいない総刺繍の打ち掛けなど、日本がなくしてしまった技術を駆使した複雑で繊細な反物など、日本最高峰の着物・帯等を多数保有する。(K・K)


株式会社中駒織物

ウェブサイト
http://naka-koma.com/


着物・袴のレンタル、着物・浴衣の仕立てをご希望の場合は下記までお問合せください

FAN JAPAN(三井アウトレットパークKLIAセパン内)
G48, Ground Floor, Mitsui Outlet Park KLIA Sepang, Persiaran Komersial, 64000 KLIA, Selangor
03-8787 1446(日本語可)




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2014年CoolJapanマッチンググランプリでの一コマ

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CoolJapanマッチンググランプリ大会でステージ対応する中島氏(右)とお嬢さま(左から2人目)

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イセタン・ザ・ジャパン・ストアのオープニング当日。
中駒織物の振袖はイセタンとしての品格を示しました

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マレーシアでのクールジャパンイベントで、今では作り手のいない総刺繍の打ち掛けを展示する中島氏

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在マレーシア日本人学校に展示される中駒織物の打ち掛け

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マレーシアのアップサイクル事業に目を見張る中島氏(左)

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マレーシアの若手起業家との打ち合わせ風景。
襦袢の手縫いの技術に呆然とする左の2人にご注目

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中駒織物では大海一郎氏作の日本画を始め、多数のコレクションを扱う