【会長インタビュー】テキスケムグループ
1970年代に海外に単身で雄飛、孤立無援で事業を立ち上げ
マレーシアで成功を収めた稀有な日本人実業家にインタビュー

写真  国内だけでなく海外市場にも目を向け、更なる飛躍を目指す個人や企業が増えている。しかし、1073年に独力で事業を起こし国内有数の一流企業に育て上げた日本人がいる。テキスケムグループの小西史彦会長がその人だ。

 南国新聞は、マレーシアへの関わりと想い、そして豊富な事業経験に裏打ちされた貴重なお話をうかがった。その経験と卓見は、マレーシアに暮らす人、関心を持つ人にとって貴重なアドバイスとなるはずだ。

マレーシアを選んだ理由、マレーシアの魅力とは何だったのですか
 その質問にお応えする前に、まずはマレーシアとの出会いからお話しましょう。海外雄飛の夢を持っていた私は1968年の第一回青年の船に参加し、南アジア8カ国を歴訪しました。

 当時はどの国も首都でも汚かったのですが、シンガポールとクアラルンプールだけはきれいで整然として、道路も良く整備されていました。

 各国で団員代表が保健、教育などを担当する閣僚と会談します。そこで日米会話学院で2年間勉強していた私が通訳をしました。通訳として直に各国の閣僚と会話する中で、マレーシアの文化・スポーツ・青年相が最も若くて清潔な感じがしました。そこで、ぜひマレーシアに戻ってこようと決めました。

 小西会長は交換留学生として1968年4月から翌年3月までマラヤ大学に1年間留学。スズキの単車でマレーシア中をまわった。

 「ある時、コタバルへの途中でマレー人の男性からお前は日本人かと聞かれたんです。『そうです』と答えると突然日本語で『父母の愛は山よりも高し、海よりも深し』と暗唱すると豪快に笑ったんです。若かった私に強烈な印象を残しました」と小西会長はマレーシアの人々のとの出会いを語る。

 当時、マレーシア華人はまだまだ反日感情が根強かった。しかし、マレー人は親日的で、どこにいってもマレー人からはとても歓迎され、小西青年はマレーシアがとても好きになった。

 小西会長は東京薬科大学で有機化学を専攻し、住友化学及びフマキラーで染料と殺虫 剤の研修を3カ月づつ受けた。この経歴を活かして大好きになったマレーシアに根付こうとした小西会長だが、マレーシアは当時、外国人のワークパーミット取得が困難だった。そこで、小西会長は1969年にシンガポールの華僑系の商社に就職し、染料の輸入販売業務に携わった。小西会長は染料のセールスマンとして活躍。ドイツ、フランス、スイス、イギリス、アメリカの業者を相手にして、4年間で業界トップになった。

 シンガポールを出発して半島マレーシアをペナンまで毎月2回往復しました。お客さんのところは毎月4回づつ訪問します。一往復に10日かけ、シンガポールで5日間事務処理をして、また出発です。半島東海岸は保守的なムスリムの州は金曜が休みで日曜は平日です。ですからペナンなどは金曜日に周り、クランタンやトレンガヌは日曜に周りました。もちろん休みなしです。1カ月で半島マレーシアを車で5000キロメートルほど走り回りました。当時は高速道路がありませんでした。マレーシアは国道沿いに街ができるので、国道を使えばほとんどの街を網羅できます。あちこちの街に泊まり、マレーシアの街を現地の人より知っていましたよ。もちろん、欧米人の駐在員はそこまでしません。おかげで4年間で市場トップに躍進しました。

小西会長は、1973年に独立してペナンでテキスケムグループを起業した。なぜクアラルンプールではなくペナンなのだろう
 1973年、29歳だった私はクアラルンプールではなくペナンで旗揚げをすると決断しました。ペナンはイギリスが1786年に香港やシンガポールよりも先に植民地経営の拠点として開発したので国際都市として機能しインフラが整っています。もっと大事なのは1957年にマラヤ連邦に併合されるまで170年ほど英国植民地だったことで、英国の文化や自由主義の伝統がペナンの地域社会と人々に根付いていることです。それは今も同様で、これがペナンを選んだ最大の理由です。

 私は毎年、妻と共に世界中を旅行します。いつも訪れた街とペナンを比較するのですが、大好きなイタリアの諸都市を始めどこと比較しても、ペナンが最高だと再確認します。40年前の判断を後悔したことは一度もありません。

1973年の起業以来、テキスケムグループは様々な産業分野に進出して成功している。その秘訣、有望な新分野を見つけ出す秘密とは
 テキスケムグループは過去40年間に60数社を起業しましたが、そのうち残っているのは70%程度で、30%は失敗しています。70%の中でも成功といえるのは50%で、残り20%は現在も苦戦中です。5勝3敗2引き分けです。

 成長分野、新規参入分野をいかにして決めるか、見つけるかにも関わりますが、マレーシアでは誰も参入していない事業への進出が基本です。これは地元企業、民族資本と競合しないという、私の経営哲学とも関連します。そして日本人としての特徴を活かし、日本の最新技術を導入していくのも重要です。

 ただし早すぎで失敗したケースもあります。プリント配線基板の生産事業を率先して、三菱ガス化学と合弁で始めました。1980年に始めたものの、タイミングが早すぎました。倒産は回避しましたが1986年に自主廃業にしました。

テキスケムグループは40年間にわたり安定した成長を続けてきた。その経営戦略について伺った
 当社は5年から7年は業績が急速に伸びてから踊り場に達し、再度業績を伸ばすというサイクルを3、4回は繰り返して来ました。リーマンショックの際はエレクトロニクス関連の2つの事業部門インダストリアル事業部とポリマーエンジニアリング事業部が大打撃を受け2008年から2011年まで税引き後で合計1600万リンギの損失を出しました。2012年には過去4年間の損失の約3倍となる4900万リンギ収益を計上しましたが、踊り場といえるでしょう。2013年には順調に利益を伸ばし、成長局面に復帰したいところです。

 安定した経営のため、事業内容の多角化は重要です。ポリマーエンジニアリング事業部が歴史もあり主要部門で、さらに殺虫剤や食品事業があるという形です。水産加工を手がける食品事業部から派生したのがレストラン事業で、「すし金」もそこから生まれました。近年はレストラン部門の伸びが著しく、事業部別で利益トップになっています。今後も成長が期待できるので、グループ全体として重視しています。もう一つ、メディカルディバイスとライフサイエンスはこれから、さらに力を入れていきます。打撃を受けたエレクトロニクス産業関連以外の分野の拡大が急務です。

テキスケムグループは投機的な不動産ビジネスなど、いわゆるマネーゲームには参入していない。これは偶然なのだろうか、それとも確固とした考えがあるのだろうか
 マネーゲームに参加しないのは起業当初からの基本方針です。反社会的な事業には参入しません。不動産はたくさん所有しています。ただし、自分たちで使用しない不動産は所有しない。使わない不動産を所有し投機目的での運用は許可しません。

 私は2009年にCEO職を部下に譲り、2013年4月1日に3代目のCEOを任命しました。私は今年69歳です。2代目CEOは58歳で、1993年にグループ企業社長に任命し経験を積ませました。新任のCEOは入社以来20年間、直属の部下として鍛えた43歳の華人系マレーシア人男性です。後継者の育成も計画的に進めています。

 新任のCEOは日本人の心を理解し日本の企業との協業の経験も豊かです。私の理念を受け継いで、事業を発展してくれるものと確信しています。もちろん彼の経営判断を尊重しますが、テキスケムグループの企業文化は今後も受け継がれていくはずです。

小西会長はマレーシアへの貢献が高く評価された人物に与えられる「タン・スリ」という称号を授与している。この栄誉については、どのように感じているのだろうか
 タン・スリの称号をいただきました。日本からの投資を誘致し最新技術を導入し地元の発展に貢献し、マレーシア人の雇用促進に寄与したのが評価されたものと理解しています。日本からの進出企業の手助けと助言も積極的に進めてきました。地元の有力者などが最初にもらうPJNをもらい、次にダト、そしてダト・スリ、最後にタン・スリの称号をいただきました。マレーシアに根付いて段階を経て称号を受けたのは日本人では私だけです。これも、マレーシア経済と社会に40年にわたり、多少なりとも貢献してきた結果かと思っています。

マレーシアは現在、大きく変化しています。長年にわたりマレーシアでビジネスに携われてきた小西会長のマレーシアの今後についての見方を教えて下さい
 マレーシアは1957年に英国植民地からの独立以来、民主主義が着実に定着してきました。各選挙では個別に不正や選挙違反があったとしても、軍部の干渉などは無く民意を反映する選挙が実施されてきました。総選挙では三分の二の絶対過半数確保は無理でしょうが、与党が連邦下院を制し連邦政権を維持するでしょう。ただし州政府は6州から7州が野党になるでしょう。(インタビューは2013年4月初旬に行われた)

 私がマレーシアの選挙で最も高く評価しているのは、負けた方が必ず民主的な手続きを尊重し、選挙結果を受け入れると発言する点です。民主主義がこれからもマレーシア更に定着していくと期待しています。

 45年間、東南アジアで過ごして来ましたが、民主主義が経済発展の不可欠な条件だと確信しています。独立当時は経済的繁栄を謳歌していたフィリピンがマルコス政権下でどうなったか。経済的に豊かだったミャンマー、当時はビルマが軍事政権下で最貧国になったことからも明白です。

マレーシアは多民族国家ですが、テキスケムグループの幹部は華人系が多いです。これはどうしてでしょうか
 マレー系市民の友人も数多くいますし偏見はありません。民族を問わずマレー系も華人系も採用します。しかし、華人社員の方が努力する人が多く、伸びていく割合が高いです。実績を上げて抜擢される人に占める華人の割合が多いのです。

 政府に保護されているマレー系市民と、独立独歩で頑張っている華人系市民とでは意識が違います。長年、家内が買い物をしているウェットマーケットの顔なじみのお店の夫婦たちは必死に働き子どもたちを大学に進学させます。MBAを取得した子どもさえいます。親の苦労を目の当たりにした子どもたちが何も感じないわけがありません。だから、どれほど辛いことでも我慢して頑張れるのです。教育を重視し必死に働く。これが華人パワーの源です。

今マレーシアで働いたり事業を展開されている人。または、マレーシアに関心を持っている人たちに大先輩としてアドバイスはありますか
 日本人が海外で認められて成功するには、日本人としての誇りと気概を失わないことが重要です。勤勉で誠実な日本人の特徴を誇りに思うべきです。ただし、プライドは心に秘め、表に出さないのも大事です。日本人として当たり前のこと、正直で嘘をつかないといったことが、諸外国の人たちと比べてどれだけ貴重かを理解すべきです。そして、日本人としての特徴を出す仕事をすることが重要です。日本の産業やテクノロジー、文化と関連した分野で仕事をすることで、日本人としての特徴を活かせます。

 多忙な日々を送りながらも毎年2回以上も、夫婦でイタリアやフランスなど欧州を中心に世界中を旅行する小西会長。4000本以上の貴重なワインを所蔵するワイン愛好家としても知られ、大事なゲストへのディナーなどで振る舞い、コーポレート・エンターテインメントとして活用するなど日々の暮らしも大切にしている。そしてクラッシク音楽のファンでもあり、経費の九割を負担するスポンサーとしてオペラ・コンサートを文化事業としてサポートしている。

 事業家としての確かな目と、事業を育んでくれたマレーシアへの支援を忘れない小西会長。マレーシアの今後を確かに見据え、これからも様々な方面で事業を発展させていくその動きに、これからも注目したい。




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小西史彦会長






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